労働者は仕事の対価として賃金を得ている存在であって、属性ではない

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私を含め多くの人が労働者として働いています。いわゆるサラリーマンですね。あ、今は男女平等にビジネスパーソンと呼ばなきゃいけないのか。面倒な時代だ。

そんな多くの人々が当てはまる「労働者」ですが、突き詰めていくとどういう存在でしょうか…。

答えは簡単。”スキルや体力、時間などの労働力を売ることで賃金という対価を得ている人々”です。我々の労働力は商品なのです。

その商品価値が個々によって違うため、賃金労働者でも年収200万円~2000万円、それ以上を貰う人まで、大きく稼ぎが変わってきます。これを格差と言えば格差なのですが、雇い主からしたら「より役に立つヤツ」に多くの対価を払うのは当然のことですよね。

労働の対価として賃金を受け取る、それ以上でも以下でもない

どうしても日本は家制度が長かったせいか、会社を屋号のようにとらえ、”そこに属している人間”という感覚を持ちがちです。

たまにあるのですが全く仕事と関係ない場所で知り合った人から、「〇〇株式会社に勤めている△△と申します」と自己紹介をされることがあります。仕事関係で知り合ったのならどのような職種か初めに自己紹介するのは分かりますが、全く仕事が関係ない趣味の場ですよ。完全に個人の属性を企業に乗っ取られてしまっている重症例です。

hachi
hachi

ちなみにこの手のやつは一流企業にお勤めの方だけですけどね(笑)先日は緑色のメガバンク勤務の方でした。

上述した通り、労働者はスキルや体力、時間などを商品として売り、雇用主から対価として賃金を得ているだけであり、雇用主の会社=あなたではないわけです。家柄ならわかりますよ。脈々と受け継がれた名家というものがあるでしょうから。

個人の属性まで染めてしまう労働者という存在

ただ仕事を請け負い、その結果賃金を得るという単純な契約の下働いているだけにもかかわらず、毎年多くの人が過労で病んでいます。「自分がいなくなれば会社が回らない」、「この仕事をやり遂げなければ周りに迷惑がかかる」など、思い詰めてしまいうつ病になる、最悪の場合死を選択する方もいます。

めっちゃ単純な話、日雇いだって正社員だって、雇用主に労働力を売って賃金をもらっている構図は変わらないんですよ。

月曜日から金曜日まで朝から晩まで働いているうちに、いつの間にか自分の人生は会社と共に存在しているような感覚になってくるのでしょうね。そこでの失敗は人生の失敗だと。

hachi
hachi

そんなわけあるか!ただ働いた対価で金貰っているだけじゃい!失敗したら金は貰い損ねるかもしれないけど、それだけの話だ!

と、偉そうなことを書いていますが、実は私も前職で昇格をきっかけに本社で働くことになり、あまりのハードワークと濃密な人間関係にて10ヶ月程で頭痛が止まらなくなり、身の危険を感じたので退職を決意して転職し、今の会社に流れ着きました。

勤務時間が長くなればなるほど、人間関係が濃ければ濃いほど、どんどん人生と仕事がいっしょくたになってくるんですよね。そして転職して一歩離れて気付く。一体あれは何だったんだと…。

労働者は多くを得られないが、失うものも少ない

労働者として雇用主と契約しているのですから、契約に沿った仕事を遂行する義務があります。そしてその対価として賃金を得ることが出来ますが、雇用主がピンハネしているので生み出した利益より多くを得ることはできません。

しかし、ビジネスを行っているのは雇用主のため、失敗しても困るのは雇用主だけで、労働者ではありません。正社員として働いているからと言って、雇用主が背負うべきものまで背負う必要は無いのです。

私は前職で責任感を持って相当量仕事をこなしたと自負していますが、いざ辞めるとなったら初めは衝撃波が社に伝わりましたが、次の瞬間全てを織り込み済みで事が進み、今でも全く問題なく機能しているそうです。

hachi
hachi

そんなもんですよ。

本当に無理だと思えば辞めてしまえばいい。働いた対価として賃金を得ているだけの存在なのだから、賃金を諦めたら働かなくていいわけです。「周りが…」とか関係ありません。それを考えるのは雇用主であって、賃金労働者ではない。

私も一度失敗して気付くことが出来ました。「会社は家族」、「一人の責任はみんなの責任」、やかましいわい!働いた分の金よこせ!金をよこさないなら働かん!

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