労働者として働くということ

仕事
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2週連続の3連休が終わりました。私は休日出勤も入っていたので特にいつもと変わらぬ休日と言った感じでしたが、休み中は妻の実家(関西の田舎)に滞在していました。

子供を畑に連れて行って芋や枝豆、茄子を収穫させたり、沢蟹やカエル、バッタを捕まえたり(虫が嫌いだから本気でイヤですが…)、本当に時間がゆっくり流れているという感覚でした。都会にいるとなかなか体験させられないことを子供に見せられたので、いいお休みになりました。

本来自然にあったものを捨てて、都会に住み田舎を懐かしむ…変な話ですね。しかし田舎暮らしも最低限の文明社会の利器が無ければ成り立たないのも事実なので、現代社会には田舎も都会もどちらも無くてはならないものなのでしょう。片方がよくて片方がダメという性質のものではない。

労働者は時間の切り売りしている

さて本題。私は現在労働者として働いて賃金を得ています。残念ながら自分でビジネスを起こすような才能も気力も無いので、万年賃金労働者です。

妻の実家に行くと、朝起きてご飯を食べ、家族なり友人と過ごし、軽く運動をして畑仕事をしてご飯を食べて片付けて寝る。人間として本当にシンプルな生活を送っていると感じます。人間に必要なものって突き詰めたらそんなに多くないんですよね。

しかし、多くの日本人労働者は朝起きてから夜遅くまで、多くの時間を労働に奪われています。私の場合は朝7時半に家を出て、帰宅は20時~21時です。休日出勤は月2回ほどあります。

労働による拘束時間もさることながら、やはり頭のどこかで常に仕事のことを考えてしまっており、私という人間が有している多くのリソースを会社に奪われているわけです。

これは多かれ少なかれ、日本の普通のサラリーマンであれば似たような状況ではないでしょうか。

みんながそうだから、これが”普通”なんだと考えてしまいがちですが、一度何かのきっかけで離れてみると、いかに人生の大部分を仕事に奪われていたかを実感します。

転職が決まった後、たった2週間の幸せ

私は昨年5月に転職しており、前職は4月の中旬から有休消化を致しました。実質2週間程度の休暇ではありましたが、閑散期の沖縄に行ったり、図書館で本を読んだりと、本当に幸せな時間でした。

だって仕事が次決まっているからお金の心配も無いし、仕事のことは一切何も考えずに過ごせたわけです。たった2週間ですが、労働者として働いていることの不自由さを実感する期間でした。

ちなみに先日書きましたセクハラ、パワハラで会社を追われた方も、全く同じこと言っていました。「今まで朝早くから夜遅くまで仕事をして17年勤めて来たけど、いざクビになって一歩引いてみてみたら、なんてばかばかしいことに人生を費やしてきたのだ」と。

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次の会社ではもっと緩く働くつもりだそうですが…元の気質がハードワーカーなのでどうなるでしょうね。

どうせ時間を奪われるなら何か意味を見出そう

労働者として時間を切り売りして賃金を得ている以上、一定の拘束は仕方がありません。日本の場合行きすぎている気もしますが、これは国民性なのでそう簡単には変わりません。

ただ漫然と、生きるためには働いて、働くということ=月~金朝から晩まで働くというイメージを定着させるのはよくありません。それは雇う側にとって都合のいい労働者像であり、必ずしも正しい姿ではありません。

自分がしている仕事が楽しくて仕方がない方は別ですが、そうではないなら労働という不毛な行為以外に目的を見つけましょう。お金を稼ぐこと、スキルを上げること、交友関係を広げること、何でもいいでしょう。

私の場合は完全にお金を貯めることと、妻子の経験に対してお金を使うことに重きを置いています。お金を貯めることと使うことで矛盾していますが、幸い今の収入であれば両方を十分に叶えられます。

労働者として人生の貴重な時間を切り売りしている以上、どこかで見切りを付けられるよう資産を貯める一方で、今しかできない貴重なひと時は逃さないよう、家族に対しては惜しまずお金を使っています。

子供の成長が一段落したら、私も妻の実家の田舎に引っ越してのんびり暮らそうかな。それが可能なぐらいの資産は既に貯まりました。目標金額はもっともっと上ですけどね。

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