そこそこの規模の会社だと社内で「働き方改革」という言葉が必ず出ているのではないでしょうか。もちろん弊社でも至る所に働き方改革という言葉が散りばめられていますし、「働き方改革を実現する会議」を18時以降にするというネタのような会議も本社では行われているようです。
そしてこの度現場の営業の人たちも「私の働き方改革」というお題でレポートを書かなければいけなくなりました。それぞれがどのように働き方改革を実現していくかを考え、それをどうすれば達成できるかを検討させるのが趣旨のようです。
やはり日本人は労働時間を減らすことは無理なのでしょうか。
成果ありきでプロジェクトがスタートしている
私も前の会社で本社勤務をしているのでわかりますが、本社の人ってあまり失敗を認めません。ただでさえ営業と違い数値で結果を測ることが難しいのに、新しいことを実施して成果が出ていないということが露呈してしまうと洒落にならないからです。
働き方改革プロジェクトも働き方改革が進んでいる呈で動いており、現場には働き方改革何てほとんど関係ないのに無理やりレポートを押し付けてきます。
しかし、日本人は義務教育で無駄な作業を忖度しながらそつなくこなすことに慣れているため、書けと言われたら本社が求めている通りのおりこうさんな文章を書いてしまいます。
働き方改革プロジェクトの人々にとって、活動したからには”成果が出ている何かしらの証拠”を上層部に提出しなくてはいけません。その結果が現場にレポートを書いてもらうということに繋がるんでしょう。
ちなみにこれ、読む人の膨大な仕事量を考えるとぞっとしますよね。考えたやつ絶対仕事中毒でしょう。
稀に反骨心なのか正義感からなのか、こんなレポート無駄だ!と声を上げる現場の人もいますが、少数意見として蓋をされるか、それどころか勤務態度が悪いと評価を下げられることすらあります。
仕事を増やすことはできても減らすことが出来ない
これも結構本社では問題になります。とりあえず始めてみようとスタートしたプロジェクトも、年数が経つと風化して、もうやらなくていいんじゃないか…という空気が流れているものが数多く残っています。
しかし、「止めるには止める理由が必要」なのです。「数年経って役割を終えているので止めます」と言っても、その根拠が必要だとか、代わりに何をするか案が無いと止められないなどと、”単に止める”という行為がすごく苦手です。
とりあえず始めることが許されるなら、とりあえず止めてみることも認めていいのではないか。
結果的に何が起こるかというと、「止める理由を見つける」ことと、「新しい案を出す」のが面倒なので、「継続したほうが楽」という結論になり、惰性で続くことになります。
これは上が悪いのでしょうか。それとも代案のアイデアを持ち合わせていない無能な下が悪いのでしょうか。
何年経っても働き方は変わらない
変わっている企業はもうとっくに変わっています。未だに代わっていない企業は、上述の「止める理由が無いと止めれないから、止める理由を探す業務に時間を取られる」という、もう根本的に変われない体質なんでしょう。
働き方改革と叫ばれて何年経ちますか?毎年新しいことをチャレンジして毎年実行して、それでも大差ないのでしたら、もうできないということなんでしょう。
だって即断即決して断行していくことが求められる改革なのに、何年も会議をし続けている時点で無理でしょう。今変われていない企業は今後何年経っても一緒です。
私自身も、私の勤めている会社も…変われないのでしょう。
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