暴落の底日:2020年3月23日の管理人

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昨年の2月下旬から始まり、約一か月で急落を続けたコロナショックですが、振り返ってみれば3月23日が底でした。

その後急反発しましたが、2番底オジサンや3番底オバサンもたくさん現れ、フルインベストメントで丸焼きにされた私は追加資金もなく、ただ嵐が去るのを待っていただけでした。

フルインベストメントしていた管理人の2020年3月23日

1800万円溶けました。元気ではありません。
私は早寝早起きで21時頃に寝て5時に起きてるので(じいちゃんかよ)、リアルタイムで米国市場を見ることはほとんどありません。リアルタイムは気にせずぐっすり寝ています。 毎朝5時に起きてすぐに株価をチェックするのですが、もはや「安定の下げ」とし...

3月23日を受け、次の日の早朝に書いている記事です。1800万円溶けたってさ(笑)

1800万円ってさー、どうやって貯めたらいいんでしょう。今すぐ用意しろっ!って言われても、いや、「私の年収上回っているんで…ちょっと5年ぐらい待ってもらっていいですか?」と答えるしかありません。

好調な時は何を買ってもいいんです。何をしていても、優劣はあっても大体みんなプラスになるから。でも真価が問われるのはこういう暴落時ですよね。ほぼ全員負けの瞬間、どう行動できるか。

いち早く撤退した人、オッケー!

撤退は出来なかったけど果敢に買い増しした人、オッケー!

とにかく何もせず耐えた人、まあ…オッケー!(←私)

3月23日前後に怖くて売ってしまった人・・・あかーーん!( ;∀;)

急落時に理屈なんか意味無いですよ。「企業の本質的価値が」とか、割安や割高や、もうそんなことどうでもいいから、とりあえず自分がどうするか決断しないと、毎日とんでもない金額が溶けていきます。

hachi
hachi

私の運用額ですら、寝て起きたら300万円消える世界だよ

投資に興味がない妻の2020年3月23日

無駄な知識を得るから判断が鈍るのかもしれません。

私の妻は本当にお金に興味がないのですが、独身時代にためたお金と退職金を銀行に放置するのはさすがに勿体ないだろうということで、妻名義の口座を作り、VOOを購入させています。

妻は買い方どころか、証券口座のログイン方法すら知らないので、実質私が購入、管理しています。

私も購入時以外は妻の口座にはログインしないので、購入後は完全放置されています。

そんな妻ですが、さすがに昨年の暴落に関してはニュースを見て知っていて、「ねえ、私の退職金でまだ余ってる現金があったけど、今が買い時じゃない?」と言われ、私が日和って「さすがに今日買わなくてもいいんじゃないかな…すごいことになっているから」と抑えてしまいました。

妻から600万円託される
普段お金のことに全く関心が無い妻も、とうとう連日の報道で株価が暴落していることを意識し始めたみたいです。ちなみに以前、独身時代に貯めた500万円程度を、私の勧めでVOOに一括投資しております。 hachi 先日までそれなりのプラスでしたが、...

それが昨年の3月23日。妻はその後また興味を失い、次に購入するまで結構な時が経ってしまいました。

おい、2020年3月23日って、暴落の底日じゃないか(笑)

hachi
hachi

妻の嗅覚の方がよほど優れているということですね

フルインベストメントの恐怖を存分に味わいましたので、その後は現金比率を高めることにしています。昨年の3月23日以降、少しずつ売り払って現金を増やしています。

市場が好調な今、機会損失と言えばそうなのですが、たった1年前にあんな恐怖があったことを時々思い出して自制しています。

今自分が投資している額は、労働者の収入ではカバーできないところまで来ていますから。

hachi
hachi

いやー…生き残れてよかったよ

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元登校拒否の筆者が英検1級、年収1000万に到達するまで

コメント

  1. しるふ より:

    初めまして、しるふと申します。突然のコメント失礼します。
    ブログをよく見させて頂いておりますが、ふと、’元登校拒否’が目に止まり藁にもすがる思いでコメントしました。

    今年の春から中2になる娘がいるのですが、去年の11月から突然学校に行けなくなりました。
    最初のきっかけは純粋に熱を出して体調不良で休んだのですが、治ったはずなのに学校に行かないと言い出しました。
    無理強いしても仕方ないと思い、そっとしていたのですがそのまま不登校になりました。
    家では昼夜逆転やセルフネグレクトはあるものの、引きこもりでもなく、家族との会話もあり、普段通りなので余計になぜ学校に行けないか分かりません。

    もし、よろしければhachiさんの経験から、差し支えない範囲で構わないので聞かせて頂けないでしょうか?
    hachiさんが学校に行けるようになったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

    • hachi より:

      しるふ 様

      このような小さなブログを読んでいただきありがとうございます。感謝です。

      お子様が学校に行かれなくなったとのこと、すごく心配でしょうね。私も四歳の子供がいるのですが、もし自分の子供が学校へ行かなくなったらどうなるだろうと考えることがあります。
      私は自分がそうだったので恐らく理解するでしょうが、妻は難しいですね。甘えだと一蹴するでしょう。私もそれが普通の対応だということも理解します。

      お子様の心境は分かりませんが、私のことで言えば、不登校になったきっかけは特に極端な理由(いじめなど)があったわけではなく、担任と上手く行かず彼が言っていることが理解できなくなり、その結果周りが私を異端児のように見ている気がして、少しずつ休みがちになりました。

      そして休みがちになると久々に登校したときの”ざわつき”がストレスに感じ、とうとう全く行かなくなりました。

      小学5年生から休みがちになり、中学1年から完全に不登校です。ですので、いわゆる基礎学力は身についておりません。小さな町に住んでいましたので、外に出ると誰かに会いそうで外出もあまりせず、ゲームばかりして17歳まで過ごしました。朝8時に寝て夕方4時に起きる、完全昼夜逆転です。

      酷いときはタモリさんとごきげんようを見てから寝ていました。

      私にとって幸いなのが、どういうわけか母親が私を信じてくれており、「この子はすごい子だ、いずれ動きだす」と何も根拠がない(と私は思う)のに見守ってくれていたことです。

      その後17歳になり、さすがに何か勉強しようかなと思って行き始めたのが大検予備校です。そこからはまあ…なんか勉強していますね。

      結局、私は学校に行けるようにはならないままでした。

      本当に人それぞれでなので、どうしたほうが言いなどということは全くありません。ただ私の経験が少しでも参考になるなら、隠すことは何もないのでどのようなこともご質問いただいて結構です。

      いい方向に進むことを願っております。